瞑想初心者は卒業したのに、迷走人生の真っ只中、、、何かが噛み合わないオオカミこと”minato”だ。
今回は僕が趣味のように楽しく継続している、1日2回の瞑想の効果や不思議な体験について解説する。
僕が瞑想に感じているメリットはリラクゼーションや心身の健康となる。
当たり前の話だけど、この記事の内容はすべて個人の体験に基づく見解であって、科学的根拠やエビデンスは存在しない。
ではやっていこう_。
瞑想のやり方?
僕が一度の瞑想に設定する時間は基本15分(タイマー使用)。
事前に深呼吸を数回行い腹圧や肺に対してやや強めの負荷をかける。お風呂に入るときの”かけ湯”みたいなもの。
僕は子供の頃から完全な鼻呼吸だったせいか、なんの苦もなく腹式呼吸や肺(胸式)呼吸の違いが理解できた。基本的に朝方は肺呼吸を意識し、夜の瞑想は腹式という感じで行っている。意図せずそうなってしまった。
この辺は詳しく説明しないが、自分なりの経験に基づく解釈である。
より能動的な意識を高める肺呼吸、リラックスや副交感神経の働きを活発にする腹式呼吸みたいな棲み分けである。瞑想における僕の腹式呼吸は意図的に浅めで、肺呼吸とのハイブリッド型となる。
_そりゃあそうだ;;
息を吐くときは心地よい脱力に任せ、吐き始めはやや速く、終わりに近づくほど”ゆっくり”に。無理に吐き切る必要はない、次の呼吸までの余韻を意識する。
呼吸によって肉体がどのような影響を受けるのかを注意深く観察する事を忘れない。
姿勢は4コマ漫画のオオカミのように坐禅(ざぜん)を組んで行う。いくつかヨガのポーズも試したが、自分には座禅スタイルがしっくりきて集中できる。
瞑想5分後の世界?
瞑想歴もそろそろ4ヶ月以上になる。始めた頃の1回の瞑想時間は5分と短めだった。
(※現在は15分)
坐禅には法界定印(ほっかいじょういん)という手の組み方がある。僕は誰から教わるわけでもなくこの形を採用していた。高校の修学旅行の時に早朝坐禅を経験しているので無意識に踏襲した可能性はある。
右掌に左掌をのせて、親指同士を軽く触れ合った状態で保つ形だ。
いまでもたまに、組んだ親指がブルブル震えて言うことをきかなくなる事がある。しばらく静観し放置していると止まるので心配はいらない。
瞑想を始めて3日目くらいだったと記憶しているが、とても不思議な体験をして現在に至っている。
指が震えるというのもそうだが、そこからさらに進むと手の感覚が無くなるという事態に陥った。手の存在は認識できるが神経的な感度が限りなく”0”になってしまったのだ。
具体的に説明すると、左右の掌(てのひら)・親指同士が数センチ程度離れてしまっている感じがした。力んでポーズが崩れてしまったのかもしれない、そう思った。
状態を確認するためにそっと目を開けてさらに驚いてしまった。
なぜなら両手はきちんと組み合っていたし、親指同士も軽く触れ合ったままだったからだ。視覚情報と感覚が一致せずとても奇妙だった。
後にこの喪失感は瞑想が上手く行っている時に起こる症状だと知った。
体調次第では手以外にも、背中や足、後頭部などにも同じような喪失感が現れることがある。
瞑想10~15分後の世界?
だいたい10分くらい、実際はもっと早い段階かもしれない。口の中に唾液がいっぱい溢れてくる。
これは呼吸が安定して脈拍が下がってくるタイミングで起こる。
一瞬集中が途切れるが、飲み込んでしまうようにしている。15分の瞑想では多くても2回程度なので気にはならない。
瞑想中に唾液が溢れてくる仕組みなどわかるはずもないが、意識レベルでは心地良い手応えとなる。
体温の上昇
体温の上昇は外気温(北国の1月程度の気温w)も影響するが、10分程度で手や背中あたりがポカポカしてくる。
僕が部屋に置いている暖房器具は400wの電気ヒーターがひとつ。
(※800wでも使用できるが、電気代をケチっている)
自宅では座りっぱなしの時間が長くて、冷え性気味だった僕はとても得した気分だ。
極稀に瞑想を続けるのが困難に感じるほど蒸し暑さを感じてしまう場合がある。そんな時は一度中断して時間を置いてから再度取り組むようにしている。
それはもう凍りついたサッシをこじ開けて部屋の換気をしたくなるレベルだったこともある。
筋肉に張り付いたストレスが剥がれる?
僕には瞑想で得た数々の効果(変化)を科学的・医学的に説明することなど出来ない。
たとえばストレスが軽減したせいで相対的にストレス耐性が上がったなど。
以前は離れた場所の騒音に体が緊張してビクッと反応することがあった。また不意に電話が鳴ると借金の取り立てではないかと違う意味でもビクついたりもしたw
まるで筋肉がトラウマやストレスを形状記憶しているかのように反射的に起こるのだ。まっとうに清々しく生きておられる方々ではピンとこない話かもしれないが、、、
最近では筋肉や潜在意識?にこびりついたストレスが随分と剥がれてきた感じがする。瞑想で雑念の放置に取り組んできたおかげで物事に無駄に反応しなくなったのかもしれない。
心の使い方、思考におけるテクニックが向上したということなのかもしれない。
1年前とは比較にならないほど心穏やかにいられる時間が増えた。そんな自覚が芽生えている。
腰痛で瞑想が辛いならリバースプランク
短時間であっても正しい姿勢で座るというのは想像以上に難しい。
瞑想したいけど腰痛のせいで完遂できないという事は容易におこりえる。僕自身そんな経験を何度もしている。
腰痛の原因は人それぞれで重症度も違うだろう。
ただ軽度の腰痛であれば、リバースプランクという体幹トレーニングで解決できるかもしれない。背筋の衰えが原因で正しい姿勢が困難という場合には特に効果的だ。
簡単に出来るし運動強度もそれほど高くない。その割に得られる効果は大きい。
また腰痛問題がない場合でも、瞑想にはいくつかのネガティブな要素があるので触れたい。
それは初期に起こりやすく、体の悪い箇所が痛みだす場合がある。
僕が経験したのは、治療せず放置していた虫歯、胃痛など。
毎回必ず痛みだすというわけではない。というか1度きりだったような気がする。
胃痛は既に解消されているが、虫歯は自然治癒しないので歯医者に行くしかない。
瞑想をすることで慢性的になんらかの痛みが出て消えない場合は、一度中断してまず医者にかかるべきかもしれない。
実際瞑想がきっかけで重篤な病気に気づいたという話は少なからず存在する。
もっと瞑想したい気分になるけど、、、
瞑想の時間は、好きなことに没頭している時と同じようにあっという間に過ぎ去ってしまう。あとに残るのは心地よい充実感(多幸感?)。
あともう15分、いや1時間でも行けそうな精神状態ではある。
ただ僕はこれ以上は深入りしないと決めている。
なぜなら当初思い描いていた以上の効果を体感できているし、瞑想の危険な側面についても以前より知識を得たことで踏み込み過ぎる必要はないと思っているからだ。
あとは良い習慣として日々継続して行ければ良いのだ。